2009年8月10日月曜日

旅の途中



世界を一冊の書物に見立てて、ページの上に並んだ文字を一つ、また一つと丹念に読み取るように自分の足でいろんな街を歩いてみたい。代わり映えのしない日々に飽きるようなことがあると、ふとそんなことを思います。

繰り返す毎日。日常という名の連続体。その惰性に擦られた感性のアンテナがまるで先の丸まった鉛筆のようになってしまうと、もう一度ピンと尖らせたくなって、そんなことを思うのです。

いつもとは違う風に漂う初めて嗅ぐ匂い。独自の様式美を醸し出す建築物の佇まい。そっと触れてみた手のひらに伝わる外壁の材質感。行き交う人々が交わすことばの響き。意味は不明だけれどそれが間違いなく会話だとわかることの不思議。露店で発見した初めて出会う食べ物を口にする瞬間の不安と期待。

自分の歩幅で進んでいるから、そしてときに立ち止まってみるからこそ肌で感じ取ることができるリアルな感覚があるのだと僕は信じて疑いません。

いつもの仲間と移動効率に優れた乗り物に揺られて観光地から観光地へと道中騒ぎながら移動するのも大いに楽しい営みではあるけれど、それは日常のカプセルに包まれたままで行う空間移動。

感性を鈍らせる日常に蔓延る常識という名の実体の無い存在。それを疑い、見つめ直し、そしてそこに潜む本質を見抜き価値を見極める感性を取り戻すには、カプセルの殻を破ってみなければならない、と僕は思うのです。

そうしてカプセルを隔てて内側から眺めていた異質な外の世界へと一歩足を踏み出せば、その途端、自分自身がその世界には属さない異質な存在となり、異邦の者としての自分を知ることになる。

カプセルの内側に居た自分が持ち合わせていなかった新しい視点をカプセルの外に出た自分が手に入れる瞬間です。

そうやって新しい世界観を手に入れてみても、結局「とかくに人の世は住みにくい。」と思うのでしょうか。

自分で確かめてみるしかありません。

夏目漱石がその著作『草枕』のなかで主人公に語らせた台詞はこう続きます。

「住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。」

どんな詩が生まれて、どんな画が出来るのか。

自分で確かめてみるしかありません。

もし世界が一冊の書物だとして、そこに自分のことがどれくれい書かれているのか。

自分で確かめてみる術があるのでしょうか。

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