2009年3月23日月曜日

過去になりたがらなかった昨日

馬場で前泊した僕は、思い出を肴にストレートのスコッチだけでも一桁できかない量を。朝まで呷っていたくせに、なぜか朝7時過ぎに目覚めた土曜日。


前日馬場入りする前に会ったともだち。
トンカツを頬張りながら嬉々として語ってくれた研修での体験。どうやら、身体性を強調したアクティビティーを通して恊働による学習を促すと同時に互いを見つめそして自分を見つめ直す機会を提供するプログラムだったらしく、盛りだくさんだった1週間をともに過ごすうちに仲間との間に生まれた確かな結束は、僕がアメリカに居たころ年2回のシーズン中は毎日放課後から午前3時や4時は当たり前という準備を要求されたハードな演劇活動を通して仲間と築いたものと似ているように思えた。

疲れた体とは裏腹に高揚さめやらぬともだちの魂から放たれていた純粋な喜びが醸す充実感に触れて、「叫び」のようにおのずと生まれることばを問題とし、「身体こそがみずから示し、身体こそがみずから語る」と主張したメルロ・ポンティを思い出した。

彼の言う parole parlante について。そして語も音もそれぞれが「世界を唄う方法(manière de chanter le monde)」であり、それはことばが「人間の身体が世界を祝う方法(manières pour le corps humain de célébrer le monde)」だと彼が言ったことを。

そうしたら4月からの授業の準備ができていないことに少し焦燥感を覚えた。身体性を強調したアクティビティーを通して恊働による学習を促すためにシラバスに載せた数々のプロジェクト。その中身が十分な具体性を帯びるに至っていないことが気になりはじめていた。


ゼミのOBOG総会は夕方から。

せっかく早く起きたのだから考えるという仕事をしようと、昔よく足を運んだ馬場の本屋の文具売り場でA4のノートを購入し、その足でタバコの吸えるカフェへ。

思いつくまま附箋にキーワードを書き出し、買ったばかりのノートを台紙にしてカード式ブレインストーミング。着想を得て授業の計画を練る。コストや時間的制約を加味してフィーズィビリティーの判断をする。

そんなことをしていて、ふと時計をみると短針は昼をもう60度以上通り越して、開場時間まで1時間と少しになっていた。上着をとりに宿へ戻り、ついでに髪に染み付いたタバコの煙をシャワーで洗い流した。


馬場から早稲田まで。
何度往復したかわからない早稲田通り。
当時より随分ノロいスピードで歩いた。

らんぶる亭が本当の廃墟になっていて少し切なかった。

通りに並ぶ店は随分入れ替わっていたけれど、あのころ住んでいた部屋のあるマンションがまだ健在で少し嬉しかった。

その隣にあった鳩屋敷。
火事にあってからも、以前と同じように鳩がたくさん居て、なぜか妙に和んだ。

そこからさらに早稲田通りを歩いて正門へと向かうこともできたけれど、そうはせずに第二西門からキャンパス内へ入った、大学院時代と同じように。

複数の校舎がやたら高層化していてかなり驚いた。

大学も随分様変わりしたんだ。

事前にわかっていたから感慨を覚えるほどのことでもないはずなのに、感傷のせいか一々心に響いてくる。

学部の校舎はすっかり新しく建て替えられてしまって、当時の面影はどこにもないけれど、研究棟は当時のまま。

その前を通ったとき、僕の心の底に澱のように溜まったままだった過去になりたがらない昨日の傷が疼いた。

大学院時代の重い記憶。
ちゃんと向き合って過去にするために戻ってきた。

総会の会場で、僕と同じように学部ゼミから院に進学した先輩たちに会った。
みんな本当にお世話になった人たちばかり。
後輩にも会った。
素直に懐かしく、再会を嬉しく思った。

「なんか、当時より若返ってない?」

「充実したいい顔になった。」

だなんて、みんな口々に言ってくれた。

前期課程を修了してから、来年には両手の指で足りなくほど経った今の僕をみて、若返ったとか充実した顔だとか言われるってことは、当時の僕はそうとう酷かったんだなって改めて思った。

そうしたら、あの頃より今の自分のほうがちょとは前進したって思っていいかもっていう気持ちになれた。

専門分野はすっかり変わってしまったけれど、あの頃の僕があるから今の僕がある。
そんなくだらない事実を事実として受け入れられた気がした。

そうしたら重い記憶の中の昨日がやっと過去になった気がした。

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