2009年1月28日水曜日

Untold Story

同時通訳を仕事にして食べてきました。

仕事に絶え間がなかったのは本当に有り難いことなんです。

仕事が多すぎると文句をいうなんて贅沢な話。

それが愚の骨頂なのもよくわかっています。

けれど、くる日もくる日も誰かの発言を別のことばで別の誰かに伝えるという作業の繰り返しを両手の指からはみ出すくらいの歳月重ねて・・・疲れました。


正直、ちょっと嫌になりました。


こういうのも燃え尽き症候群と呼ぶのでしょうか・・・


本当は 燃え尽き なんていう漠然としたものじゃない、

自分でそうわかっています。


母が亡くなったあの日、午前の仕事を終えたらお昼には見舞いに行くはずだった僕の予定はクライアントの身勝手なやり口で脆くも崩れてしまいました。


腹を立てながら足早に現場を去り地下鉄に乗る。

乗車中ずっと駆けるような気持ちで病院向かう。

やっと辿り着いた病室の前であれた呼吸を整えて、そっと中へ。


もう日は暮れていました。


睡眠と覚醒あるいは意識と無意識の間を漂うような表情をしていた母は、僕に気づいて目を合わせ、今度は微笑みで僕を迎えようとてくれたのですが、麻薬ですら鎮めることの叶わない疼痛の激しさを字義通り必死にこらえてきた母の顔はすでにかつての柔らかさを失い自由にならないようすでした。



どう?


さっき お薬 もらったから・・・



か細い声で静かにそう答えながら、瞼をゆっくり閉じながら首を少し下へ開けながら少し上へ、と二回繰り返しそのまま眠りにつきました。


そして本当に眠りについてしまいました。

最期に訪れた酷い痛みに幾時間も悶え苦しんだ末に「もうお願いですから」と死を懇願しながら。


まだあと僅かばかりは残されていると信じていた時間。

それが永遠に失われ、

潰えたのは希望。

残ったのは虚しさと伝えられなかったことば。

不可逆的に一方向に流れる時間というものの恐ろしさ。


他人のことばを別の誰かに伝えている暇なんて残されてはいなかったのに。


そんなことの為に使う時間があるなら、


自分のことばを母に伝える為に使いたかった。


僕の本当のことばは永遠に受け手を失って、行き場を無くしてしまいました。

僕が人のことばを喋っている間に。


・・・


受けた仕事に穴を開けない。

プロとしての責任。


くだらない。


失ったものが大きくて、プロとか責任とかいうことが瑣事にしか見えなくなりました。もうプロと名乗る資格は無いかもしれません。


そうして僕は通訳という仕事が少し嫌になりました。


・・・


母は長きにわたって誇り高くよく戦いました。

際限なく増殖しながら体を蝕んでゆく新生物。

とめどなく増大しながら徐々に生を死へと変換してゆくエントロピー。

辛くなかったはずがない。

怖くなかったはずがない。

そう思うと不憫でならないのです。


母は本を愛し、人を愛し、よく話し、よく笑い、明るく強い人でした。


いつも僕のことを想い、僕を慈しみ、僕を愛してくれた人。


今日はそんな母の命日です。


おかあさん、ありがとう。


・・・

母の最期のようすなんて、これまで誰にも話したことすら無いのに・・・

なんでこんなことウェブに載っけようとしてるのか、自分でも不思議です。

感傷的に過ぎる投稿でごめんなさい。

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