2009年1月30日金曜日

カレー味


カレーと言えばナン?

日本人ならやっぱりライス?

いえいえ歯磨きのお供です!?


写真に写っているのはお友達の歯医者さんが研究室に持って来たハミガキです。

カレー・フレーバーの!

ビターチョコレートとコーラ風味(っていうの?)もあります。


以前から大型小売店などで市販されているのは知っていたのですが、試してみたことはなく。

初体験。

お友達おすすめのカレーを試してみることに。

愛用の歯ブラシを左手に構えて、にゅ〜っとやってみました。

仄かにベージュ色のペーストは普通のやつよりすこし柔らかいのです。

ブラシの上に鎮座ましますその練り物からは、あの刺激的なかほりが・・・僕の鼻孔から容赦なく奥へ奥へと侵入し臭覚を直撃します。

スパイシーなかほりがもたらす困惑に眩暈にも似た感覚を誘発されつつ、ブラシを口へ。


挿入。


ゲっ、具のないカレー!と、まずは驚きのリアクションを。

僕は歯を磨いている・・・疑いようも無く。
なのにカレーを食べてる気がするのは???

それはね、歯磨き粉がカレー味だからだよ!と、次にひとりツッコミを。

わかっちゃいるさ。
けど、ヘンだ。
どうしても歯磨きしてる気になれないよ!

と、当惑のひとときを楽しんだあと、また歯磨きしたくなりました。
歯はツルツルになりましたけど、ミントが恋しくて(笑)

ちなみにこの歯磨きペースト、界面活性剤フリー・アルコールフリーで、もちろんちゃんとしたハミガキなんです。

全部で32種類もフレーバーがあるそうです。

興味のある方は、こちらへどうぞ↓

HTTP://www.margaret-ji.co.jp

2009年1月29日木曜日

Engrish

授業が終わったので、今授業用のマックを整理してます。


学生が作ったデジタル作品やら、僕が授業につかったスライドやら、そんなファイルが結構な数になります。


ほったらかしだとディスク領域が足りなくなるのは目に見えているので、保存すべきものは頑張ってフォルダに分類してアーカイブ。不要なものは削除、削除。


そんな作業をこつこつと進めていたら、でてきましたよ。


Engrishが。


みなさんEngrishってご存じ?

これが相当おもしろいんです。


日本やその他の国で発見されたヘンな英語のことです。


このEngrishばっかり集めたサイトが、こちら↓


http://www.engrish.com/


このサイト見てると、必ずプッと笑いが吹き出すよ。

だから、仕事中に見ない方がいいです。

急にふきだして、周りの人に不気味に思われると困りますから、くれぐれもご注意を。


とにかく面白いです。

おすすめです。


このサイトを今期のはじめに、ある授業で紹介したんですが、その時もかなり笑えたんです。


で、Engrish.comから画像を拝借して、みなさんにも笑いのお裾分けを。




2009年1月28日水曜日

Untold Story

同時通訳を仕事にして食べてきました。

仕事に絶え間がなかったのは本当に有り難いことなんです。

仕事が多すぎると文句をいうなんて贅沢な話。

それが愚の骨頂なのもよくわかっています。

けれど、くる日もくる日も誰かの発言を別のことばで別の誰かに伝えるという作業の繰り返しを両手の指からはみ出すくらいの歳月重ねて・・・疲れました。


正直、ちょっと嫌になりました。


こういうのも燃え尽き症候群と呼ぶのでしょうか・・・


本当は 燃え尽き なんていう漠然としたものじゃない、

自分でそうわかっています。


母が亡くなったあの日、午前の仕事を終えたらお昼には見舞いに行くはずだった僕の予定はクライアントの身勝手なやり口で脆くも崩れてしまいました。


腹を立てながら足早に現場を去り地下鉄に乗る。

乗車中ずっと駆けるような気持ちで病院向かう。

やっと辿り着いた病室の前であれた呼吸を整えて、そっと中へ。


もう日は暮れていました。


睡眠と覚醒あるいは意識と無意識の間を漂うような表情をしていた母は、僕に気づいて目を合わせ、今度は微笑みで僕を迎えようとてくれたのですが、麻薬ですら鎮めることの叶わない疼痛の激しさを字義通り必死にこらえてきた母の顔はすでにかつての柔らかさを失い自由にならないようすでした。



どう?


さっき お薬 もらったから・・・



か細い声で静かにそう答えながら、瞼をゆっくり閉じながら首を少し下へ開けながら少し上へ、と二回繰り返しそのまま眠りにつきました。


そして本当に眠りについてしまいました。

最期に訪れた酷い痛みに幾時間も悶え苦しんだ末に「もうお願いですから」と死を懇願しながら。


まだあと僅かばかりは残されていると信じていた時間。

それが永遠に失われ、

潰えたのは希望。

残ったのは虚しさと伝えられなかったことば。

不可逆的に一方向に流れる時間というものの恐ろしさ。


他人のことばを別の誰かに伝えている暇なんて残されてはいなかったのに。


そんなことの為に使う時間があるなら、


自分のことばを母に伝える為に使いたかった。


僕の本当のことばは永遠に受け手を失って、行き場を無くしてしまいました。

僕が人のことばを喋っている間に。


・・・


受けた仕事に穴を開けない。

プロとしての責任。


くだらない。


失ったものが大きくて、プロとか責任とかいうことが瑣事にしか見えなくなりました。もうプロと名乗る資格は無いかもしれません。


そうして僕は通訳という仕事が少し嫌になりました。


・・・


母は長きにわたって誇り高くよく戦いました。

際限なく増殖しながら体を蝕んでゆく新生物。

とめどなく増大しながら徐々に生を死へと変換してゆくエントロピー。

辛くなかったはずがない。

怖くなかったはずがない。

そう思うと不憫でならないのです。


母は本を愛し、人を愛し、よく話し、よく笑い、明るく強い人でした。


いつも僕のことを想い、僕を慈しみ、僕を愛してくれた人。


今日はそんな母の命日です。


おかあさん、ありがとう。


・・・

母の最期のようすなんて、これまで誰にも話したことすら無いのに・・・

なんでこんなことウェブに載っけようとしてるのか、自分でも不思議です。

感傷的に過ぎる投稿でごめんなさい。

2009年1月27日火曜日

Ekphrasis




僕は写真がスキです。

撮るのが。

撮られるのはキライです。

フォトジェニックじゃないから。


作品作りのための撮影に出かける時間がありません。


僕にとって撮影とは日常の中のカイロス。


そんなカイロス欠乏症に陥って、もう随分経ちます。


新たに撮影できないなら...既存の写真を。

まとまった時間がないなら...隙間時間を。


そんな着想の自然なコロラリーとして生まれたのが写真で創るブリコラージュです。手元にある写真を使って新たな作品をつくります。


外の世界との確立した境界をなすペルソナ。


その仮面のすぐ下でたゆたう心。


そのなかで蠢動するパトスはカセクシス的衝動。


それをパッスィオンと呼ぶのなら、何らかのメチエを通して昇華させてやらなければペルソナ下の結合組織が炎症を起こします。


だから創ってみました。

ナラティブとしてのヴィジョンを。

オフィーリアと名付けたエクフラシスを。

2009年1月24日土曜日

California Gold Rush

今日は1月24日。

1月24日と言えば1848年...って何でやねん!と思ったあなた!

1848年1月24日といえば、カリフォルニアで金が発見された記念すべき日なのですよ。この発見がきっかけとなってカリフォルニア・ゴールド・ラッシュが始まったそうな。

だから今日はその記念日(ってなもんがあるかどうかは知りません、悪しからず)。

僕は高校時代にアメリカ史を勉強したのですが、通っていたのがカリフォルニアの高校だったこともあってこの話が記憶に残っています。

カリフォルニアには San Francisco 49ers というアメフトのチームがあります。人を表す〜erが、なぜ数字にくっついているのか長らく不思議だったけれど、もともとは1849年頃にカリフォルニアに金と夢を掴みに押し寄せた大勢の人たちを指したことばがチーム名になったんだと教わって、じっちゃんの名にかけてもないのに謎が解けてスッキリ。

メキシコ戦争のイザコザにけりがついて、カリフォルニアがアメリカ31番目の州となったのは1850年(だったと思う)。

カリフォルニアゴールドラッシュのあと、時代はAmerican Old Westへと突入し、やがて南北戦争が勃発するのでした。

南北戦争といえば、かの第16代大統領リンカーン the Great Emancipator の時代。

そのリンカーン像をバックに行われた先日のオバマ大統領の就任演説、涙しました。アメリカ国民でもない僕の心にまであなたの熱いメッセージ届きましたよ、ミスタープレジデント。

あなたについて行きます。

ええ、変わってみせますとも。

Yes, we can.


まだ演説を聞いてない方は、是非ご本人のことばを聞いてみてください。何を言っているか皆目見当がつかなくても、きっと何か大切なことが伝わってくるはずです。

あなたにも。




2009年1月22日木曜日

採点地獄

うちの大学にも、また後期試験の季節がやってきました。授業が終わってホッとするのも束の間。試験期間が間近に迫って憂鬱なのは学生ばかりじゃありません。試験する方も実は結構憂鬱なもんです。だって試験したら採点地獄が待ってるから…っと今までの僕なら間違いなくそう言ってたはずですが、今期の僕は違います。

だって、もう試験も採点も終わっちゃっいましたから!
おまけに最終評価までつけちゃいました。

偉い、俺!

よく頑張った、俺!

と、自分を褒めてます。

試験期間を待たず最後の授業で試験やっちゃって、答案抱えて研究室に戻ったらそのまま採点マシーンと化しました。

先週から何度も。
そして今日も。

やればできるじゃん、俺!

点数つけ終わったら、今度は赤ペンからキーボードに持ち替えて(ってキーボードは持たないけどっ)試験の素点に平常点やExtra creditなどを加味して最終評価に加工しました。普段はワープロ専門の僕がスプレッドシート使って。

先週から何度も。
そして今日も。

そうやって担当クラス全部の評価、とうとう今日終わりました。(早っ!)

おまけに、専門科目の試験の前に英語の試験が片付いたもんで、試験期間には専門の試験に集中できると、学生たちも大喜び。

我ながら今期はうまくやったもんだー。

おかげで、すんごい解放感。

解放ついでに、旅行にでも行っちゃうかな。

雑誌の原稿書き終わったら...って締め切りのこと思い出したら解放感がもう薄らいできた(泣)

2009年1月20日火曜日

出前授業




先日大阪のとある学校で出前授業してきました。 


自分で撮った写真を使って ”マイ・フォト・ディクショナリー" を創ろう!という(英語の)授業です。 


普段はデカい眼デジを愛用しているのですが、授業では軽くて気軽なコンデジを使います。 


学生達にカメラを持たせて(って数が足りないので、カメラが当たらなかった学生は自分のカメラか携帯を使います)、好きなように好きなものを撮ってくるように指示し、僕は僕でやはりコンパクトカメラを片手に被写体探して辺りをぶらつきます。 


カメラの電源を入れて臨戦体制に入った途端、壁に逆さに立て掛けられた箒が目に飛び込んて来ました。


その箒がなんとなく顔に見えた(気がした)ので、顔っぽく見えるもの縛りでスナップしてみました。

そのとき撮った写真が上のヤツです。

全部ではないけれど。


僕が「顔縛り」で撮影しているなんて知る由もない学生たちは、道端の花やら小動物やらをせっせと撮影しておりました。興味の対象を自分で見つけて自分で撮る作業って、写真好きもそうでもない人もみんな結構ハマるみたいです。


撮影が終わったら教室に戻って、ポータブル昇華型プリンタで即プリントします。


SDカードを直接プリンタに挿入して印刷ボタンを押すだけ。


簡単!


携帯で撮った写真はプリンタに向けて赤外線で送信すればプリンタが勝手にプリントしてくれます。


もっと簡単!


便利な世の中になったものです。


そうして各自ぞくぞくとプリントした写真を、今度は好きなように加工します。


切り抜いたり、上から何か描いたり。


マーカーや折り紙など何でも使いたいように使って、すこしだけ子供に戻ります。


そうやってスケッチブックにバランスよくプリントを全部貼り付けて、その情景を描写する文章やそこに写っているものの名前などを英語で書き込んでパーソナル・フォト・ディクショナリーの完成です。


もともと自分の興味をむき出しに撮影しているっていうのがポイント。


人から与えられた単語やイディオムを機械的に覚える作業では身に付かないことが、これで身に付いちゃうから不思議です。


スクラップブッキングの楽しさを味わいながら英語の勉強もできるなんて、一石二鳥でしょ。


みなさんも絶対一度試してみてください、騙されたと思って。


めっちゃ楽しいよ~。

2009年1月19日月曜日

自分占いのススメ



みなさん占いはスキですか?

僕は占いをやります、というか占い師です、一応。


小学生の頃から勉強をはじめて、高校時代はパーティーなどのイベントを中心に修行を重ね、学生時代からは宅占(自宅で相談を受けること)や出張という形式でやってきました。当たると評判が高いんです、って自分で言ってりゃ世話はないわな(笑)


もっとも現在では個人鑑定はほとんどお断りしてますけど。

それでも親しい人たちや昔からおつきあいのある依頼人からの相談は完全予約制で受け付けています。


宅占で使うのが写真に写っている占い部屋です。

宅占といっても誰でも通すわけではありません。

この部屋には。

親しい人だけ。

そんなちょっと特別な部屋なのですが、ちょっとだけその様子を公開してみます。


占い部屋なんて・・・ちょっとヘンですよねぇ(笑)

でも、この部屋に置いてあるものの一つ一つに出会いや思い出があって、そういうものに囲まれていると元気がでます。だから占い用の(演出のための)部屋というより、本当は自分にとって大切でプライベートな空間なんです。だからその部屋に入ってもらってもいいと思う人しか通せないんです。って、そんな話はどうでもよかった・・・。


閑話休題。


自分占いのススメです。

自分で自分を占うこと。


人間やってると複数の選択肢から自分の進むべき道を選びとる必要がでてきます。


必ず。


頭で考えて最善と思える選択肢が選べるときには占いは必要ありません。

自分が選んだ道をただ自信を持って突き進むだけ。

それで必ずうまくいきます。


でも、論理・知性・理性・経験をフル動員して頭で考えても、結論がでないような難問にぶつかる時もあります。自分の頭で考えても結論がでないんだから、頭以外のものに頼るしかないんです。もちろん親や兄弟、友人や先輩などのアドバイスに耳を傾けるのもいいでしょう。結論がでないままに、モラトリアムを悶々と過ごすことにも意味があると思います。でもそんなとき役に立つ方法の一つが占いです。すくなくとも僕は人生の重要な局面において占いに何度も助けられてきました。


ただし、どこの馬の骨とも知らない占い師の言うことを信じて従って、その結果失敗したら後悔してもしきれませんよね。


前回書きましたが、僕も人に言われたことのせいで甚く後悔していることが一つだけあります。そんな経験は2度としたくない。そのために占いをツールとして使ってきたんです。


人生を左右する重要な決断を下さなければならない、けれど頭で考えても結論が出ない。そんなときは僕はかならず自分で自分を占います。そしてそういう重要な占いを行ったら必ずその結果の通りに行動する。そう自分で決めているんです。そうすれば、結局は自分で選んだ道を自分で進んでいくことになるわけで「あの人がこう言ったからこうしたのに、上手くいかないじゃないか」と後ろ向きの感情に苛まれずにすみます。つまり迷いを断ち切り、後悔をしない生き方を主体的に選びとるための手法が占いなんです。


だからみなさんも自分で自分を占ってみてはどうですか。

ただし何でもかんでも占いで決めるっていうんじゃ、自分を売らないための占いに自分を乗っ取られますからご注意を。


とはいえ、時には、ただただ誰かに悩みを聞いてもらうってことが重要なこともありますから、そんなときには最初に思い浮かんだ人(ただし自分の悩みに関して利害を持たない人)に連絡をとってみてください。


きっと元気や勇気が湧いてきますよ。

2009年1月17日土曜日

道楽者のエレジー

朝から容赦なく照りつける陽光に焦げだしたアスファルトの脇に自生するオレガノの低く密に育った茂みを撫で擦るように抜けた風が、乾ききった空気に微かというには強すぎるフレーバーを与えていた7月の終わり、向かっていた。


自転車に乗って。


十字架を戴いた塔とそれを囲むバラの植え込みに出迎えられ、キャンパスに足を踏み入れた。入り口に門というものが設えられていないことに驚きながら。


16歳の誕生日を目前にしていた僕は、編入を9月に控えた高校のサマースクールで2週間の自動車教習と平行して英語の授業を受けることに決めていた。


カリフォルニアのとある街。

都会でもなく田舎でもないサバービア。


そのコミュニティーの中では誰もが知っている学校。

カタカナ表記を許さない名前の学校。


白、白、白、白、白、白、黒、黄。

金、栗、茶、黒、赤の髪。

青、緑、灰、茶、黒の瞳。


顔にある穴の数はみんな5つだったけれど、色の組み合わせは一体何通りあったんだろう。


そんな学校で留学生第一号になった僕。


サマースクールで将来の夢について尋ねられて、とっさに "A translator." と答えた。先生が "He wants to be a translator." と、みんなの方に向きなおって繰り返した。まるで世界に向かってそう宣言されてしまったような気がして、すこし後悔した。


本当は描きたかった。

歌いたかった。

なのに、どうしてそう言わなかったんだろう。


表現者ということばをまだ知らなかったから。

そんな生き方ができると思っていなかったから。


多分どっちも違う。


「絵描きみたいなもんは道楽者のやることや。成績がいいんやからもっとまともな仕事に就きなさい。」


中学生の僕が「絵を描いたり歌を歌ったりしていきたいです」と真っすぐな思いを伝えたとき先生の口から吐き出されたこのことばが、ずっと刺さったままだったからだ。


きっと。


この呪いは今でもとけてはいない、と思う。


卒業がすぐそこに見えてきたとき、それまで色んなかたちで何度も参加してきた舞台で常に監督をしてくれていて、Mr. Tと敬意を込めた愛称でキャストやクルーが呼び親しんできた先生がリルケの「若き詩人への手紙」を僕にくれた。裏表紙にメッセージを書いて、大事なページにさりげなく栞を挟んで。


それを読んでも、歌や絵を仕事にしようとはしなかった。

仕事にしようと考えると傷が痛んだ。


そのかわり、先生の思いが別の魔法をかけてくれた。


サマースクールで尋ねられたあの質問は "What're you gonna be in the future?" だった。


それなのに「将来の自分=将来の仕事」と勝手に解釈してしまっていた。


その魔法は、そんな自分から僕の魂を解放してくれた。


"What're you gonna do in the future?" とか "What's your future job gonna be?"と訊かれたわけじゃなかったんだ。


「自分」という存在は「仕事」よりも常に大きい。


それなのに自分という人間と仕事とを同じ次元に布置していた。そんな極端な矮小化を犯していたことに気づかせてくれたMr. T。


I know my words will most assuredly fail to express my gratitude, but I thank you for being who you are. I know the world is a better place with you in it.


おかげで絵を描き歌を歌い役を演じ写真を撮りながら生きる存在になることができました。そのどれも仕事ではないけれど。


生きています、ちゃんと。


皮肉にも通訳という仕事をしながら。

2009年1月15日木曜日

ラースとその彼女観てきました

「ラースとその彼女」を観てきました。
前の職場で一緒だったファッツさんと。
今はIT関係の仕事をしているけど、本当はクリエイターとしての自分が内側でウズウズしている楽しい人です。

「ラースとその彼女」の内容については公式サイト→http://lars-movie.com/
や、ファッツさんのブログ→http://blog.zaq.ne.jp/fattsnohitorigoto/
に譲ります。

この映画、おすすめです。
まだ観てない人は是非!

リアルドールに恋する男と、その奇行を受け入れる周囲の人達の大きな愛の描写を観て、僕はついこの間経験したある出来事を思い出しました・・・

・・・年の瀬も差し迫った頃、僕は東京にいました。

去年の話です。

仕事が終わったその足で新幹線に乗って帰る予定・・・を急遽変更し延泊しました。
あまりにも突然やってきた、古くて新しい(?)友達との出会いを大切にするためです。

でも次の日は午前11時から中学時代の友人達と、地元でちょっとした集まりを予定していたので、そのまま東京に留まるわけにはいかず、ほとんど寝付けないまま明け方帰路につきました。

始発で。

それでも集合時間には1時間弱の余裕しかなく、慌てて本宅から中学時代の写真や当時の文集などを引っ張り出し、集合場所へ。

そのままデパ地下で食料を調達し、パーティールームとして使っている別宅(折角買ったのに結局僕が本宅に住んでいるので、今のところ住人のいないマンションです...)へなだれ込み、みんなでワイワイやっておりました。

出会った頃は子供だった僕らが、今は子連れで集まって、またあの頃に戻ったみたいにはしゃいでいる姿を見た僕らの子供達は僕らのことをどう思ったのだろう・・・謎です。

あっという間に時間が過ぎて日が沈みかけた頃、仲間の女の子が、

「あのさ、あたし・・・」

と、突然ためらいながら切り出しました。

声に出して何か言うための勇気を振り絞っている様子で。

何事かと思って周りのみんなが沈黙すると、

「あたし、女の子が好きみたいやねん。高校のときも女の子とつきあってたし。」

と、溢れそうになる涙を懸命にこらえて言いました。

実はその女の子には子供がいて、以前はダンナも居たので、みんなは一瞬ハト豆な表情。

聞けば、職場で知り合った彼女と一緒に住みたいと考えているのだとか。

ひと呼吸おいて...「一緒に居て幸せになれる相手が見つかってよかったやんか」とか「自分の子供、産んどいてよかったね」とか「自分の人生、生きるのは自分やから」などと、みんなが口々にいいました。

唐突にカミングアウトした当の本人はというと「やっぱ、みんなに話してよかった」と、ホッとした様子。

そのあとは、長い時間をかけてこういう関係で結ばれた仲間になることができた僕らの art of friendship を祝う会となり、辺りには空き缶や空き瓶がうずたかく積みあげられていきました。

金子みすゞさん、「みんなちがってみんないい」んですよね。

2009年1月13日火曜日

はじめまして

ムーチョのお話、それがムーチョロジーです。

約2年に渡る沈黙。

短いと呼ぶには長い。
長いと呼ぶには短い。

そんな休止期間を経て
またブログしてみよう、とそう思いました。
突然。

で、一枚の写真を。

これ僕です。

今は昔・・・4歳になった僕は「お母さん、日本のことばとアメリカのことばがあるんだよ!」と、今は亡き母に真っ先にその大発見を報告したのだとか。

ここに写っているのは、その発見を遡ること約1年。
足下を埋め尽くす著名人の署名や手形に甚く心を奪われている僕の姿です。
煤けた手形に何を観たのか、それは僕にもわからないけれど・・・。

アメリカのとある街で暮らしていたあの頃。
はっきり思い出せるのは、辺りを包んでいた空気の匂いだけ。
記憶と呼ぶにはあまりにおぼろげな僕の原体験。

異文化と異文化が接触して境界線が曖昧に崩れだす不可思議領域の内側でことばを使って仕事をするようになった今、思います。

全てはあの時から始まってたんだ、と。

そんなムーチョの物語、時々覗いてみて下さい。